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嶋津商店の外観
静岡県浜松市鹿谷町

静岡茶専門店茶問屋嶋津商店バナー

嶋津剛-日本茶インストラクター
嶋津剛-日本茶インストラクター
1976年生まれ
大学卒業後、塾講師、派遣業務(営業)の合間を縫って茶の修行。2004年、日本茶インストラクター資格取得。独学でホームページを制作し、現在、嶋津商店四代目として猛修行中。
お茶の活動
お茶の活動
お茶の活動
お茶の活動
お茶の活動
お茶の活動
日本茶インストラクター会員証
嶋津商店四代目、嶋津剛(シマヅゴウ)です、押忍。2004年、お茶についてより深く知り、また、それをお客様に伝えるために日本茶インストラクター資格を取得。ここでは私が嶋津商店を継ぐに至った経緯を含め、僭越ながら自己紹介させていただきます。が、なんだか長くなってしまったので興味の無い方は即戻ることをお奨めします。
お茶の仕事を初めてしたのは嶋津商店を継ぐ以前、物心がついた頃から。お茶の袋詰めはもちろん、配達ではよく親父について行って、特にバイクでの配達では後ろに乗せてもらうのが楽しみでしょうがなかったです。中学にあがる頃には包装や梱包もやっていて、それらは自ら望んでしていたことであったけれど、親父には「家は継がせん、自分のやりたいことをやれ」と言われて育ちました。
それでということもないですが、小学校6年間うち込んだのが空手。兄が先に入門していて、それを初めて見学しに行った日、幼いながらも「これだ!」と確信したのを今でもはっきり覚えてます。右は小6の時に『テレビ朝日・世界スーパーちびっ子天才大集合』という番組に出演した時のもの。司会が桂三枝でゲスト陣には今は亡き故岡本太郎さんも。休日は朝から晩まで練習。空手では心技体の鍛練と礼儀礼節を学び、今の自分のすべてにおける基礎となっています。
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附属浜松中学校時代、どっぷり漬かったのが体育祭と他では珍しい文化祭。左は体育祭の応援合戦。全身を組色の黄色に塗って海パンに足袋を履いて担任の名前を体に書いて叫ぶ(私、【ま】)という私の企画は、予想通り好き嫌いが大きく分かれ結局ビリ。文化祭の準備を深夜まで嶋津商店の倉庫で行った中学時代の友人達とは皆、この頃とまったく変わらぬ精神年齢での付き合いを継続しています。
静岡県立浜松北高校ではアーチェリー部に入部。高校3年間は完全にこのアーチェリーに捧げ、年間364日の練習。勉強皆無(追試地獄)でうち込んだおかげもあり、インターハイ(2回)、国体に出場。このメンタルスポーツから味わった苦も楽もすべてが良い経験です。
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大学でも立命館大学体育会アーチェリー部に所属し副将を務めました。ガチガチの体育会で当初は戸惑いがあったもののすぐに馴染み、最終的には馴染み切り過ぎていました。高校時代は静かな個人競技色が強かったのに対し、大学では『大学対抗』という応援合戦付きの声出しまくりの完全団体競技。特に我々の大学は騒がしく、結局それが肌にドンピシャで合ってしまったわけです。
また、合宿の打ち上げ等では1回生の時に芸をしたのを機に、幹部になっても最後まで芸をやりきらせていただき、有意義な学生生活を彩る大きな要素となりました。それに乗じて部活動も終わり皆が就職活動を始める頃には芸人活動を開始(上の全身黄色【る】と共に)。桃山祭ウキャキャライブという大会では2年連続優勝、二丁目劇場にも足を踏み入れました。
学生時代にはピザの宅配から始まり、コンビニ、家庭教師など様々なアルバイトも経験。【何事も経験】というのは正しいです。
大学卒業後、様々なことがありましたが結局なぜ嶋津商店四代目を志すことになったかというと、この仕事が『自分がやりたい仕事』だからです。今までうち込んできたことは所詮3〜6年というスパンでしたが、この仕事は30〜60年というスパンです。なんだか結論だけは短くなってしまいましたが、今後とも、じっくり続ける努力を怠ることなく精進していくつもりです。ご清聴ありがとうございました。
日本茶インストラクター
2001年夏、北海道にて。
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